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「形が次々生成する命の物語」芥川喜好(1997年12月21日読売新聞)

深く透明な色の世界にふと自分の体が浮かんだような感覚がある。
ゆるやかにゾル状の空間を漂うように、赤や黄の円が浮かんでいる。
いま奥からわいて出た淡い光の輪がある。熟れた実のように滴りおちる円もある。さまざまな発達段階の円。
はじめはおそらく色だけがあった。色は互いに浸透し、もつれあいながらそのはざまに円という最も単純で完全な、形を生んでいった。
ひとつの混とんから形が生じ、漂い出している現場といってもいい。そこは胎内かもしれない。一宇宙空間かもしれない。小さな世界ともいえる。大きな世界ともいえる。そこに次々に形が出現する誕生あるいは創世という生命の物語。そんな気配がある。

〈赤〉と〈円〉。それが、坂井眞理子の三十余年に及ぶ制作を常に背後から突きあげ駆りたててきたものの正体のようである。

二十代のころアメリカに渡り、全盛期のポップアートのしぶきをしたたかに浴びた。
激動する現実と等質な、あっけらかんとして明るいその新時代の美術に出あったとき、胸によみがえったのは子供のころ毎朝眺めていた海に昇る太陽だったという。

その残像を追うように、画面はあるときは縦横に走る色線の織物となり、あるときは螺旋の果てしない連なりとなって〈赤〉また〈円〉の壮麗な世界を築いてきた。

いま画家は生の種子をはらむ深い色彩空間に浸りながら手でじかに円を生み出してゆく。円も背後の空間も、すべて手に絵の具をつけて描かれたものなのだ。

「自分の気持ちを伝えるのに筆ではもどかしくなってきて、自然に手で描くようになったんですね。子育てで十年ほど中断したあと、たまったエネルギーをどうしたらいいかわからなくなった二そんなとき博物館で縄文土器を見たのがきっかけで、古代人のエネルギーを考えるようになったんです。古い石や巨木や洞くつを見ると私は鳥肌が立つみこんですが、古代の巫女も自然のすごいエネルギーを感取して人に伝えたわけですね。自分の絵も血が描かせているんだ赤や円は命の循環や再生をあらわすものなんだ、巫女にになればいいんだと、はっきり意識しました。いま人間は大地を支配していると思っている。大きな誤りです。古代の人々はそこに地母神のエネルギーを感じ、そのなかの人間の生死を感じていた。そういう感覚がほしいですね」

鮮烈な色彩と速度感にみちたその"熱い"抽象は、若いころ浴びた抽象表現主義からボップの時代のわきたつような熱気をどこかに残している。だが歩みそのものは全く独自のものだった。

それを「ピンとくるものは自分の足元にあった」という言い方で画家は表現する。

古代土器に出あい、遺跡めぐりを生活の重要な一部とするようになった。水のほとり、美しい眺め。その立地をみれば古代人の考えがわかる。彼らの呼吸がそこにある。そして体内に注入されたものを画布にたたきつける。陽性の色彩のなかに土俗のエネルギーがあふれていった。

そんな画面が、この数年ゆるやかな速度に変わり、深い空間性が生まれてきた。ある漂いの感覚をあらわすようになった。

物語はすでに豊かに展開を始めているようである。

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