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「イメージへ---坂井眞理子の新しい作品」千葉成夫(1993年9月 美術評論家)

坂井眞理子のこんどの作品は、大きな新しい展開を示している。
この展開は外見にもはっきりあらわれている。ひとつは、これまでの螺旋形(円のつらなり)ではなくて、複数の独立した円になっている点である。もうひとつは、以前は螺旋形がいくつも両面全体をおおっていて、それが絵の面をなしていたのにたいして、新しい作品では、背景ないし地にあたる面が描かれた上に、丸く閉じた円がたくさん描かれていることだ。円の連続するつらなりは、それだけで動勢を両面に生んでいて、それが画家の内側からほとばしるエネルギーを伝えていた。また、それはひたすら横へ横へとひろがり動いていくもので、奥行きのほうへ向うわけではなく、結果として壁のようにたいらな面が両面をかたちづくっていた。だが新しい作品では、閉じられた円がたくさん、いわば浮んでいる。もともと円は、エネルギーが環状になって充足しているかたちなのだとすれば、それぞれがエネルギーをはらみながら、静かに漂っている。そして、そのためにかえって両面上の動勢は横へ流れずに、両面の内側へとあつまっていく。
すなわちエネルギーは、表面上で、そして外側へ向っていたのが、ここでは内側へ、奥へと向いはじめているのだ。しかも、内側へ、奥へと向うそのエネルギーをまさしくうけとめるがごとく、背景にあたる地の部分が念入りにこしらえられている。制作の順序からいうと、まず地の部分が入念に、時間をかけてつくりあげられ、それから円が描かれている。つまり、以前は、ただエネルギーを両面にぶつけて、それを横へ横へとおしひろげるばかりだったとすれば、こんどは、なによりも絵づくりにたいする強い意志がある。エネルギーをため、統御し、そしてそのエネルギーを、絵をつくる方向に、水平から垂直の方向に、変換しているのである。そこに、奥行きが生れている。あえていってみるなら、以前の作品は身体的なエネルギーをそのまま前面におしだし、それだけで絵の平面をおおいつくしていた。しかし新しい作品では、そのエネルギーは内側に向って凝縮していくように感じられる。エネルギーが凝縮して、前後方向(奥行きの方向)に磁場が形成されている、そう言ったらいいだろうか。そして、このタテ軸方向のひろがりは、その奥(地にあたるところ)では複雑な色彩から成る面となり、手前ではいくつもの円が描かれた面となっている。前者は、形というよりは、カオスのような色の面なのだが、形はカオスから生れてくるという意味で。

また後者は、形としての円というよりも、閉じて完結しているがゆえにあらゆる形の母胎をおもわせ、象微すらしているものとして、浮んでいる。つまりこの円は、その点味では、背景のカオスとまったくおなじものなのではないだろうか。カオスとは、形がそこから発生してくる末成の状態であり、円とは、あらゆる形を内に含んだ、形の母型の象微であり、したがっていずれも、イメージや形の母なる胎にほかならないからである。
だから、円と背景との対比から成るこんどの絵は、たんに奥への空間のひろがり、奥行きを生んでいるにとどまらない。この奥へとひろがる空間は、イメージと形がはらまれた原初の海のようなものと、僕には感じられるからだ.いいかえれぱ、造形的に奥行きの厚みをもつ絵画になった、というだけではない、、もちろん、厚みをもつ絵になったことだけでも、大きな展開である、とくに、魅力的な色彩の面から成る背景部分には、彼女がこれまでもっていながら表には出さなかった資質がかなりストレートに現れていて、とらわれを捨てた成熟を悠じさせる。また、そこの絵具の使いかたは、螺旋形のときは絵具を手でねじふせるようだったとすると、はるかに絵具という物質そのものにまかせているといっていい.つまり偶然に身をゆだねることができるくらい、彼女は自由なっていろのだ。
しかし、こんどの作品のいちばんの魅力は、手前に描かれた円と地の色彩の面とのあいだにひろがる空間、にある。あいだにひろがる空間を眼にることができ、感じとることができるようになっている点にこそ、ある。そして、それはすなわち、表現にたいする画家の衡動・感性・エネルギーと、海のようなイメージと形のカオスとの、あいだ、ということにほかならない。このことに彼女の手がとどいたことが、新しい作品もつ意味である。絵が、動きはじめている。この、「あいだ」のひろがりのなかで、「イメージ」が胎動している。

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