
避暑地として有名な、軽井沢の端、浅間山南山麓に江戸時代に宿場町として栄えた信農追分がある。標高1000メートルあるから夏は涼しく、浅間山は雄大だ。そこに私は伯母から土地を譲り受け40年近く絵の倉庫件夏の家として使っている。
この夏は仕事があって7月から1人で追分に滞在しているおかげでこの土地に古くから伝わる伝統行事や神社の祭りなどをみた。その中に「信濃追分馬子唄道中」と行って、美声の馬子唄が長得る中を昔の装束姿の村長さんが馬に揺られてシャンシャンと鈴の音を響かせて進む道中行列がある。
何人かの侍たちが馬上から手を振る。馬の後ろからは黒子姿の人が馬の落とす糞を始末しているのがおかしい。行列の出発地点は浅間大神を拝す浅間山を正面に臨む浅間神社だ。室町時代初期の建物が一部残る軽井沢で最古の木造建築物だという。境内には追分節発祥地の石碑や浅間山噴火鎮静祈願のためにここを訪れた明治天皇行幸の碑、芭蕉の句碑などがある。
馬小唄道中行列は旧中山道を進んで「分去れ」で終わる。ここは江戸から木曽を経て京都へと続く中山道と善光寺から越後へ続く分岐点なのである。そのため江戸時代はこの追分は大名の参勤交代の行列が通った宿場町であった。だから大名の宿本陣もあったし、のちに堀辰雄をはじめ多くの小説家や文人が滞在したことで有名な油屋旅館はもっと脇本陣であった場所に今もある。しかし数年前に広い敷地と主に廃業となった。
その後、由緒ある油屋旅館を守ろうという地元の有志たちの力で「信濃追分文化磁場油や」として、ギャラリー、クラフトショップ、古書店があり夏は多くの人で賑わっている。質の良い美術の手作りの品々を置く店など洗練された文化磁場となっている。
私の絵の倉庫件夏の家はこの油屋の真後ろを浅間山の方にわずかに登ったところにある。そんなこともあり来週24日から10日間、油屋にあるギャラリー「一進」で私の個展が開かれる。1990年代の旧作を並べる。この時期に追分でなぜ古典かというと、私の絵の愛好家であり美術評論家の、現代美術や古美術のコレクターの海上雅臣さんの追分の家の一角に私の「世界の歴史を賑わせた50人の女」の小作50点を展示する素敵な建物が建つのに合わせた個展になる。
その6畳ほどの建物に展示される私の絵のある空間を海上さんは「紅声居」と名付けて、そこで楽しい時間を持つのだという。「紅声居」の落成と同時に私の個展もということだ。